スポンサーリンク

空海の師匠の師匠!善無畏三蔵の残した貴重な真言!奥が深い!知ること全ての悩みが解決!

善無畏三蔵 仏教・密教(Buddhism)

  当ページのリンクには広告が含まれています。

【画像引用:奈良県立博物館】

【善無畏三蔵が遺した真言】

  • 何か自分に支障があるあるとき
  • 何をやってもうまく行かない時
  • 何かをやり遂げる時
  • 自分自身が肉体的にも精神的にも辛い時
  • 何かに困っている時
  • お金に困っている時

そんな時にこの真言を唱える。

 

解決したいことを述べて次に真言を3回唱える

オン・シュダ シュダ
オン・シュダ シュダ
オン・シュダ シュダ

意味は考えなくていい。

スポンサーリンク

  当ページのリンクには広告が含まれています。

真言とはサンスクリット語の音

オンは オーム(帰依すること)
シュダは漢字にすると 輪陀(シュダ)かもしれないし
違うかもしれない!

理由は、仏教である経典はインドから伝わる。
インドはパーリー語サンスクリット語を漢字の音に
嵌め込む。

その漢字も、日本に伝来したときは日本語の漢字読みになる。

だから現在の経典も漢字は音による当て字と考えたほうがいい。

善無畏三蔵はもともと、インドの王族
仏教を教わっていた。

この仏教のマスターは釈迦(シッダールタ)
そう考えれば、オ-ン・シッダ シッダは考えられる。

善無畏三蔵は中国の玄宗皇帝に使え
密教を中国に伝え善無畏・自身が求聞持法と大日経を
伝える。

 

真言密教を伝えた・真言伝持八祖とは

真言密教を代々、師匠から師弟に
伝え継承した祖師であり
実在した人物

 

龍猛菩薩

龍智菩薩

金剛智三蔵

不空三蔵

善無畏三蔵

一行

恵果阿闍梨

空海

 

そして、善無畏三蔵は日本に布教のため来日している
最初は福岡県大宰府に駐留し、そこから畿内・奈良県へと
行脚している形跡がある。

富山県にも行った形跡があり道場を建立している。

空海と善無畏三蔵の縁とは?

善無畏三蔵が日本に密教を布教するために来日していた、半世紀後。

空海は、奈良県の大安寺の近くの叔父の拠点である佐伯院にて大学進学のために
勉学に励み途中、密教に傾倒していく。

叔父の阿刀大足は佐伯院で天皇の子息の家庭教師であった。

佐伯院の近くにある大安寺にいるインドや中国の留学僧から言葉を学び、

勤操からは虚空蔵求聞持法(善無畏:訳)を教えられ密教に傾倒していく、

そして数十年前に来日していたであろう善無畏が、橿原神宮の近くにある久米寺を教えられ、大塔にある善無畏訳の・求聞持法・大日経を知ることにより、漢字・文字の意味を知り密教を知るために

唐にいく決心をしている。

大安寺から久米寺まで遠くない!約20kmくらい

善無畏三蔵の遺した求聞持法・大日経、そして仏舎利を久米寺に納めている。
仏舎利は釈迦の骨

ここで不思議な縁とは、善無畏三蔵は空海の師匠にあたる
恵果阿闍梨の師匠であり、また、善無畏三蔵からは日本のことを
聞いているであろう。

空海の誕生が774年 善無畏が来日したのは718年に来日している
形跡がある。

空海が生まれる約55年前の話。

 

不思議ではないだろうか?

真言密教のマスター恵果阿闍梨の足跡とは?

そして、時は流れ、恵果阿闍梨は不空に師事し不空からは【金剛頂系の密教】を学び。
善無畏三蔵の弟子・玄超から【大日経】【蘇悉地経】学び、真言密教のマスターとなっている。

恵果阿闍梨は真言密教のマスターになり
その恵果阿闍梨の晩年に空海が教義・実践を全て教わり
日本に密教を伝え、真言密教を完成させ布教する。

これが平安仏教の始まりである。

 

恵果阿闍梨が西安に日本からの遣唐使である留学生である

空海のことを空海の友人・般若から聴いていた。

 

何をしに来ているのかも聞いているはず。

そして、いずれ会うことになるその時、

始めて会った時に恵果阿闍梨は
知ることになる。

  • 空海が、中国語をマスターしていること
  • 文字書きもマスターしていること
  • 文字も達筆であること

その真言密教を習いたいであろう姿勢が
誰よりも、ずば抜けていたということを
恵果阿闍梨も感じたのであろう。

それまでに、空海は、この西安に来て、あらゆる経典を
書き写す作業にも追われていた。

昔はコピー機がない!
経典をコピーするにはそれ相当な翻訳家や
書き写す作業の人員を現地で雇わなくてはならない。

作業指示する言葉も現地調達する資材(紙や筆など)も
相当な資本も必要であることを知っていた。

大安寺の留学僧の関係や知り合いも現地で紹介されているだろう。

遣唐使に行く前にどれだけの資金を集めをしていたのかが理解できる
空海の空白の7年と言われている。

凄いプロジェクトということが
わかるはず。

ようやく、真言密教のマスター恵果阿闍梨に会うことで
大きく歴史が動く。

恵果阿闍梨が空海に真言密教を全て授ける

恵果阿闍梨も自分には生の(寿命)

時間がないと理解しているからこそ、また、

善無畏三蔵からも日本への布教を
考えていたこと、

空海が久米寺で善無畏三蔵の大日経を見て感じたこと、

求聞持法を体得していたこと、

何をもってこの西安に来たのかを
全て理解している。

天才・空海だからこそ成し得た貴重な事実!

 

コレが平安仏教の開花であり日本の仏教の
新しい幕開けでもあった。

今も連綿と、真言密教は伝え続けている。

 

 

 

 

Translate »
タイトルとURLをコピーしました