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空海が若い時に結論を導き出した答えが三教指帰(さんごうしいき)

空海の言葉

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空海の残したこ句です。

小孝は力を用い、大孝は匱きず

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意味:

孝行・忠孝することの重みを空海は考えた

考えに考えて出た言葉が、この言葉だった。

 

親孝行するのは当たり前のこと

ただ、努力して

 

親だけに孝行するのは小さい親孝行

空海は俗世間を離れ仏道に入ることで

 

主君や親を捨てて出家することは忠孝に反すること

と人は思うかもしれないが、

 

仏道に入り修行で得たもの大きく

修行で培った智慧を使い、

 

国や両親に捧げることも大孝なのではないか!

 

小欲ではなく大欲で人々に尽くす!

 

世のため人のために生きよ!

 

そう言いたかったようだ!

 

三教指帰とは?:

この句は 三教指帰(さんごうしいき)といって、空海が

24歳の若い時に書いた

親族へ宛てた出家宣言と言われている

 

元々は【聾瞽指帰】(ろうごうしいき)と呼ばれていたが

空海が有名になり、この書物が沢山の貴族に

支持され、朝廷に献上された時は

三教指帰(さんごうしいき)と呼ばれるようになった

 

空海のエピソード:

まだ若干、空海が19歳の時

若き、空海はある一沙門(僧侶)に逢い

密教の素晴らしさを教わる。

 

久米寺(奈良)で大日経を知ることとなり

一沙門から虚空蔵求聞持法を授かり

そして、仏教・雑蜜(密教)に傾倒していく

山野を駆け巡り、乞食のような格好で修行していく

 

実は、このことは、三教指帰の序章に

記載されている・・・

 

この時代よりはるか前に、役行者(役小角)エンノオヅヌ と言って

修験道の開祖といわれている

呪術者というか密教修行者がいたことを知っていたのだろう

役小角(エンノオヅヌ)にあこがれ、山野を駆け巡ったのかもしれない・・

この役小角も仏道修行者であり、山に棲む仙人の

ような人 村の人々が困れば、助けに行き、

村のヒーロー的存在 実在した人物だ!

 

 

そんな憧れがあって、密教という仏道に

傾倒していったのかもしれない。

そして空海は考えたのだろう・・

 

この時代中国からの文化として:

入ってきていたのが儒教・道教・仏教だった

儒教は空海が大学に入る前に修学していたこともあり

世のため人のためになる学業は儒教ではないと

感じていたかもしれない。

 

そして、道教は自然を取り入れ宇宙と人間の関わりを

真理とする仙人のような生活を理想とする道も

役小角のような知識として得ていた。

 

そこに一沙門から教えられた密教とが合わさり

思想としてどれが卓越しているのか?

 

考えた末に出た答えが、この三教指帰(さんごうしいき)

書かれた句が、

 

小孝は力を用い、大孝は匱きず という結論

 

これをもって、両親に判りやすく

空海自身が何をしたいのかを戯曲風に編纂したのが

この三教指帰だったと言われている。

 

三教指帰の内容:

内容は、儒教の教えと道教の教えと仏教の教え

どれが一番優れているのか?

 

たどり着いたのは、

仏教の教えが最善であるということを示した

空海が残した著作物と言われています。

 

空海の両親に仏道に入ることを許してもらうために

書いたのかもしれない・・・

 

親孝行するのは当たり前・・・

 

親のいう通りに行けば親孝行かもしれない

でも、自分の道を見つけたのが仏道だった。

 

親も捨て、周りも捨て、全て捨てて

仏道に入りたい!

 

仏道に入り修行して得たものを使って

人々のためになることを

自分の人生を使って国の為

人の為に尽くしたい決意を

両親に宛てたということなのだろう。

 

エピソード:

24歳の空海は、覚悟を決めて

仏道に入ることを決めていたということ

そして、この24歳の書物のあと

遣唐使として31歳の空海になるまでの

7年の空白というものが生まれる。

不思議なのは、この7年の間の期間

空海の行動の資料などが残っていないことが

都市伝説となっている。

 

空海の言葉
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