汝が三蜜は是れ理趣なり 我が三蜜は是釈経
意味:
心理はどこにあるのか?
心理はどこに求めたらいいのでしょうか?
どこにあるものでもない・・・
それはアナタ自身の中に輝いています
身・口・意
身体は印を結び・真言を言葉にする・仏を意い境地に入る(三蜜)が真理への道
空海が最澄(天台宗宗祖)に借経といって、
理趣経を貸してほしいと言われて・・・
釈経本は字面でなく文面でなく密教はまず自分で
経本から得たことを実践しなければ
何も真理は得られないですよ・・・
という意味
理趣とは?:
理趣経といって、現在では理趣経は
真言宗の経本ではメインになるものです
当初、平安時代に空海が遣唐使で戻ってきたときに
持ち帰った経典があまりにも珍しく
今まで日本では知られていなった経典
それを、最澄(当時、若くて国の一番偉い僧侶)が認めており
元々、学者肌の最澄は空海に依頼して
経典を借り、自分なりに研究していた。
それを、空海が皮肉って、
真理とはお経を読むだけ理解だけでは
何も真理に近づくことはできません
自分で感じ体得しなければ意味がない・・・
経本の理解とそして、自分が感じる意(思い)
自分の身体を通して体感しないと
密教の極意・真理には近づけないといっている
参考:
どんな経典?
実は理趣経って、金剛頂経系の経本なんです。
大日経と金剛頂経 この二つが真言宗の教義体系
金胎不二といって、どちらが欠けてもいけない
経典ということです。
理趣経典内容は17段(章)で構成されています。
それぞれの仏が述べている内容になっています。
その中でも十七清浄句:
この内容がその当初(平安時代)では
強烈な人間の営みのことはすべて本来清浄で
あるということが強烈な意味合いがあり、
人間の前に・生物であることを思わせる
内容であること。
万が一、間違った解釈をしてしまうと、
大変なことになるということを
空海は恐れていたようです。
内容は人間の営み
性についても書かれており
それらすべては、もともと清浄なる行為である
と書いてあるのです。
十七清浄句内容:
- 性なる恍惚感は清浄
- 性なる欲望に駆られることも清浄
- 男女触れ合うことも清浄
- 異性を抱きたくなるのも清浄
- 男女が固く抱き合うことも清浄
- 男女が抱き合うことで満足し自由自在に天にも昇る気持ちになるのも清浄
- 異性を意識して欲望を持つことも清浄
- 男女が交合して快楽を得ることも清浄
- 男女の愛を得ることも清浄
- 人が自慢する心も清浄
- 人がものを着飾ったりものを飾ったりすることも清浄
- 心が嬉しく喜ぶことも清浄
- 満ち足りた思いが心が輝くような気持になることも清浄
- 身体が健康で自由なことを喜ぶことも清浄
- 目の当たりする色を感じることも清浄
- 耳に聞こえる音を感じることも清浄
- この世にあるニオイ・香りを感じることも清浄
- 口にする味を感じることも清浄
人間の五感全て体感すること感じる事
それを得る事・生きている欲望・欲を・・・
大欲を思うことは人間として生まれてきて
感じることは全て清浄であると記載されている。
そして、何より僧侶はその当時、異性と交わることを
禁止し、仏道に入り修行する時代
淫らな行為を戒めていたこともあるので
これを全て、僧侶に解禁すると
間違った意識を植え付けることにもなり兼ねない
と感じていたようです。
それゆえに、間違った事教えてしまうと
人間社会において危険な思想になりかねないことを
空海は憂慮していて、人間として円熟し
人に教えられる人でないと教えられないと
理解していたようですね・・・